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各地の名所を巡る

酒井隊士と愛犬クマの像EADLINE

愛犬クマの像は白虎隊記念館の隣に

福島県会津若松市一箕町      


隊からはぐれて山中をさまよい、自刃すら考えた峰治が、クマと遭遇したときの様子を再現したものだそうです。
愛犬により勇気づけられた峰治は、無事鶴ヶ城に入城。その後の籠城戦を戦い抜く。
戦いの後は会津で精米業、のちに北海道で酪農業を営み、1932年、81歳で生涯を閉る。
その後、1993年に酒井が書き残した『戊辰戦争実歴談』が発見され、愛犬クマとの逸話が世間に知られるようになる。

白虎隊士の一人、酒井峰治と愛犬クマの像は白虎隊記念館の隣にあります。

白虎隊出陣の折、母と兄は病床にあり、父はすでに越後に出征していたため、峰治を見送るのはクマ一匹でした。

勇んで出陣し、大いに敵を屠り活躍したが、奮戦及ばず負傷し、リーダーの篠田儀三郎らとはぐれてしまった。

今はこれまで、と自害しようとする峰治に、突如飛びついてきた犬がいる。「ワン、ワン!」 クマは峰治の腕を噛み、脇差を奪った。そして彼に飛びつきペロペロ舐めた。

「クマ!オレを助けに来てくれたんだな!」 こうして愛犬クマによって九死に一生を得た峰治は城に戻ることが出来、落城まで戦い続けることが出来たのである。(NHK「歴史秘話ヒストリア」番組から)





酒井隊士と愛犬クマの像から右手の階段を昇って、白虎隊士自刃の地へ行きます。








自刃に及んだ20人の隊士の中で、唯一人生き残った飯沼貞吉(飯沼貞雄)の墓があります。












さらに進み階段を下りた左側が自刃に及んだ場所です。









    

自刃に及んだ20人の隊士の中で、唯一人生き残った
飯沼貞吉(飯沼貞雄)の墓があります。










さらに進み階段を下りた左側が自刃に及んだ場所です。









 


この場所には、鶴ヶ城の方向を眺めるような少年隊士の像が建てられています。
白虎隊は、16〜17歳になる武家の男子で構成された部隊で、合計343名が所属していたそうです。
この飯盛山で自刃したのは、士中二番隊に属していた20名。
戸ノ口原での戦いに敗れ、飯盛山に落ち延びた士中二番隊の隊士達は、城下が燃えているのを目にして、鶴ヶ城がすでに落城したと思った。
    

自刃の地から、会津若松の街を望みます。
写真ではわかりませんが、正面中央に少し林のように見えるところに鶴ヶ城があります。

実際にはこのとき、見えたのは失火による炎だったといわれていますが、少年達は敵に捉えられ生き恥を晒すのを潔しとせず、この地で自刃することを選ぶ。

炎上する城下の様子を、少年隊士達はどのような気持ちで眺めたのでしょうか。


 

白虎隊士の墓
白虎隊は、16〜17歳になる武家の男子で構成され、士中、寄合、足軽の各隊がありました。

正面の墓は慶応4年(1868年)8月23日、ここ飯盛山で自刃した士中白虎二番隊19名の墓。

隊士の遺骸は西軍により手を付けることを禁じていましたが、村人により密かにこの近くの妙国寺に運ばれ仮埋葬され、のちにこの土地に改葬されたそうです。



所在地
〒965-0003  福島県会津若松市一箕町八幡弁天下33
電話 0242-24-9170
交通アクセス
(1)会津若松駅からバスで10分
営業期間
開館:4月〜10月 8:00〜17:00
開館:11月〜3月 9:00〜16:00
休館:年中無休
磐梯山サービスエリア


酒井隊士と愛犬クマの像から磐梯山サービスエリアまで磐越自動車道経由で20分(15Km)。

磐梯山サービスエリアから見た、磐梯山はまだまだ雪模様で春は後になりそうです。







      

磐梯山サービスエリアにある、會津うまいもん横にある めんこうぼう・赤べこで喜多方ラーメンをいただきました。

なにやら、のりをよ〜くみると。
転ばぬ先の・・・・交通安全祈願 會津あかべこ若丸とイラストが。

交通安全を願う気持ち、ありがとうございました。
で、味はこれが実に美味しいでございます。

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