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各地の名所を巡る

金沢城跡

さまざまな石垣がみられる

「石川県金沢市丸の内」

石川県金沢市丸の内の兼六園となりにある「金沢城」。
江戸時代には前田氏の居城でしたが、明治期に軍の施設が置かれ、一部の建物以外は撤去されました。
1996年に石川県が国から金沢城址を取得して、公園として整備するとともに復元工事が行われ、現在に至ります。



ー 目 次 ー
1.石垣の種類
 (1)自然石積み
 (2)粗加工石積み
 (3)切石積み
 (4)薪の丸東側の石垣
2.五十間長屋と三十間長屋
3.門・橋と櫓を観る
4.丑寅櫓跡、戌亥櫓跡や本丸からも展望
5.基本情報

1.石垣の種類

(1)自然石積み
自然の石や粗割しただけの石を用いて積む技法です。
金沢城の初期の姿を伝える貴重なもので、東の本丸北面石垣などに見られます。



(2)粗加工石積み
割石を加工し、形や大きさをそろえた石材を用いて積む技法です。
二ノ丸北面石垣や石川門石垣に見られます。



(3)切石積み
場内各所の石垣は、それぞれ表面だけしか見られませんが、ここでは丁寧に加工した切石を隙間なく積む技法です。
数奇屋敷石垣や鉄門石垣で見ることができます。



(4)薪の丸東側の石垣
この石垣は、鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)や二ノ丸北面と同じく、形をそろえた石材を積み上げた「粗加工石積」の石垣です。
3272自然石積み
自然の石や粗割しただけの石を用いて積む技法です。
金沢城の初期の姿を伝える貴重なもので、東の本丸北面石垣などに見られます。



2.五十間長屋と三十間長屋

(1)五十間長屋
五十間長屋は菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓で、武器等を保管する倉庫として使用されていました。
菱櫓と同様に、2001年(平成13年)に木造復元されました。
五十間長屋も内部を見学することができます。



(2)三十間長屋
金沢城の三十間長屋は重要文化財に指定されています。
幅3間、長さ36.5間ほどの2階建ての多聞櫓です。



3.門・橋と櫓を観る

橋爪門
橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門です。
高麗門形式の一の門、石垣と二重塀で囲われた枡形、櫓門形式の二の門からなる枡形門で、枡形は城内最大の大きさです。



門・橋と櫓を観る
橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)
二の丸の正門である橋爪門と、その橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓がこの橋爪門続櫓です。
橋爪門続櫓は3重3階で、高さは14.69mあります。
手前には橋爪橋と橋爪門で、奥にあるのが橋爪門続櫓です。



鉄門
鉄板を貼った扉がつけられていたことから、この名前が付きました、
本丸の防御にあたっていました。



石川門は金沢城の搦手門(からめてもん)にあたる門で、白門とも呼ばれています。
兼六園に近い門で、現在はメインゲートとして多くの方に利用されています。
名前の由来は、石川郡の方向を向いていたことから名づけられたそうです。



石川櫓
石川門は一般的な枡形構造の城門と同様に、一の門、二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門となっています。
石川櫓は内部を見学することもできます。



戌亥櫓跡(いぬいやぐらあと)
本丸の北西角、戌亥の方角に当たることから「戌亥櫓」と呼ばれていました。
西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だったそうです。
宝暦火災(一七五九)の後、再建されませんでした。



丑寅櫓跡(うしとらやぐらあと)
本丸の東北角、丑寅の方向に当たることから「丑寅櫓」と呼ばれていました。
櫓を支える野面積みの石垣は、文禄元年(一五九二)の築造と推定され、金沢城内最古の石垣です。
宝暦の大火(一七五九)後は再建されませんでした。



4.丑寅櫓跡、戌亥櫓跡や本丸からも展望

丑寅櫓跡から見る風景
遠くには白兀山(896m)、奥医王山(939m)、戸室山(548m)がかすかに見えます。



戌亥櫓跡から二の丸に復元された菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を眺めることができます。



本丸から野田山や倉ヶ岳、大乗寺丘陵公園などを見渡すことができます。



5.基本情報

 金沢城公園
住所:〒920-0937 石川県金沢市丸の内1番1号
お問合せ:076-234-3800
アクセス:【電車】JR北陸本線・金沢駅から北鉄バスで約15分
「兼六園下」下車、徒歩約5分

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