安土城跡の見どころは、麓の大手門跡から本丸跡へと続くおよそ180mの「大手道」です。
信長自身が通ったみちです。
当時の姿そのままに復元された大手道の道幅は6m(大手門跡から山腹まで)と広く、石敷側溝が設けられています。
大手道の両側には、羽柴秀吉や前田利家など織田家臣の屋敷があったと伝えられています。
大手門から登ってすぐの場所に秀吉と利家の屋敷が置かれていたのは、安土城正面の守りを固めるためだったのでしょう。
写真は羽柴秀吉の屋敷があった場所です。
圧倒的な石垣
黒金門跡の石垣には異なる大きな石が使われています。
安土城は本能寺の変の後に謎の火災によって焼失しました。
この黒金門跡も火災の影響が見られますが、400年以上経った今でも堅強な姿を保っています。
二の丸跡には豊臣秀吉が1583年(天正11年)2月に建立した織田信長公本廟があります。
信長は本能寺の変で明智光秀に討たれましたが、その遺体は見つかりませんでした。
ここには信長の太刀や烏帽子などが埋葬されています。
本丸跡には天皇をお迎えする、京都御所の清涼殿と酷似した本丸御殿があったと見られます。
広い敷地に礎石が残っており、この礎石にも焼損のあとが見られます。
本丸から天主台へは石段を上ります。
信長はこの上に約33mの天主を建てて居城とし、天皇を見下ろす形の城を作ったわけです。
安土城は天正4年(1576年)に丹羽長秀に命じ、約3年かけてこれまでの城とはかけ離れた形のものでした。
その象徴ともいえる金色に輝く天主がかつてこの上にあり、天守に鯱を置いたのも信長が始まりです。
本丸御殿は高床式の構造で、渡り廊下で天主と繋がっていたようです。
信長公の本廟が置かれた二の丸跡と本丸御殿のあった本丸跡とともに、天主跡は安土城跡の主要な見どころとなっています。
天主跡にはかつて地上6階・地下1階の高層天主がありましたが、その際の礎石が当時の姿そのままに残されています。
晴れた日の天主台からの眺めは素晴らしいものです。
また安土城跡では、織田信長が城内に建立した摠見寺跡や重要文化財に指定されている二王門(楼門)、三重塔などを見ることができます。
摠見寺は信長が城の中に建立した寺院です。
安土城を400年にわたり管理してきたのが臨済宗妙心寺派の摠見寺です。
摠見寺二王門は安土城築城の際に信長が甲賀から移築したものと伝わります。
門内の金剛力士像は応仁元年(1467年)の作です。
天主と城下町を結ぶ道の途中にある、三重塔も当時の姿を伝えています。
安土城跡基本情報
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
時間 午前8時半~17時(入場受付最終16時)
料金 大人700円、小人200円(高校生以下)
城ナビ館入場料 200円
アクセス
JR安土駅より、徒歩約25分、レンタサイクル約10分、タクシー約7分