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各地の名所を巡る

復旧工事中の「熊本城」HEADLINE

石垣や城壁が崩れ、地震の爪痕として生々しい

「熊本県熊本市中央区」

熊本県熊本市中央に位置する熊本城は、2016年4月14日21時26分発生した地震で大きな被害を受けました。
その後、多くの方の暖かい復興への後押しを感じられ、まだまだ痛々しい姿ではありますが、少しづつ元の熊本城に変わりつつあります。(2019.6.12)



東十八間櫓は高さ約20mの石垣の上に建つ長さ約34mの一階ての櫓で、北側は北十八間櫓nお接続しています。
被害を受ける前の東十八間櫓



地震によって櫓と土台の石垣が崩落し、神社建物を倒壊させました。



北十八間櫓は高さ約20mの石垣の上に建つ全長約340mの一階ての櫓です。
かぎ状に折れた形をしていて、南側は東十八間櫓と接続しています。
平成28年(2016)の地震によって櫓と土台の石垣が崩落しました。



頬当御門周辺
全震の時点で3箇所が崩落、本震後に全ての石垣が崩落し、道を塞ぎました。
回収した石垣の石材は薬1900個。



棒庵坂
熊本城内には人名のついた坂が三つあります。
その一つがこの棒庵坂です。
この坂の下に下律棒庵の屋敷があったことから命名されました。
棒庵はもともとは京都の公家の出ではあるが、加藤清正の家臣となり、禄二千石与えられていました。



「三の天守」とも呼ばれる宇土櫓は、地上五階・地下一階、建物の高さは約19m、土台石垣の高さは
21m以上と大天守に次ぐ大きさです。
西南戦争直前に大小天守は炎上しましたが、宇土櫓は焼けずに残ったそうです。
地震で南に付く続櫓が倒壊し、五階櫓の壁漆喰・床などが被害を受けました。



戍亥櫓
西出丸の北西角に位置する三角櫓で、北西を意味する「戍亥」名がつけられ、「西出丸」は本丸の北側に張り出した一帯のことです。
平成28年(2016)の地震では、櫓下の石垣が大きく崩落して角石のみで櫓を支え、さらに東側に延びる石垣もほとんど崩落しました。



ここ、戍亥櫓はニュースでも報じられたこともあり、被害の様子をスケッチをする方が多くいました。



未申櫓は西出丸の南西角にある三階櫓です。
背戸時代には方角を干支の動物で表すことがあり、南西を意味する「未申」の名がついています。



馬具櫓は熊本城の南の入り口を守る一階建ての櫓で、馬具を納めたと思われますが記録はみつかっておりません。
本震で石垣に膨らみが生じ、度重なる余震の影響で5月10日に崩落しました。



長塀は現在の坪井川に沿って建てられた全長242mの長い塀です。
平成28年の地震で東側の80mが倒壊し、背後の石製控柱も多くが破損しました。



銀杏城の愛称で親しまれている熊本城は、加藤清正が慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、7年の歳月をかけて同12年(1607)に完成した城です。
城域は東西1.6km、南北1.2km、周囲5.3km、城域約76万平方m。北から西へは坪井川を引いて堀とし、東と南は数層の石垣をめぐらし、その複雑で堅固な構造は、清正の実戦体験から生み出されたものといわれています。
熊本城の早い復興を願いものです。



熊本城
住所: 〒860-0002熊本県熊本市中央区本丸1-1
電話: 096-352-5900
交通アクセス
 (1)熊本駅から花畑町まで電車で15分 花畑町から徒歩5分
撮影 2019年6月12日

      

熊本城周辺の観光スポット

満潮になると海に沈む道「長部田海床路」

熊本県宇土市にある陸から海に向かって伸びる道路で、満潮になると海に沈み、干潮の時に姿を現します。
干満の差が激しい海で海苔養殖・採貝を営む漁業者のために昭和54年に建設されたものです。



満潮になると海の中に街灯が立ち並んでいる姿が見れます。
街灯に沿って道路が約1kmも続いてるとは驚きです。
日本の渚百選、夕日百選にも選ばれた有明海の干潟。



住所:熊本県宇土市住吉町3125-1
駐車場:無料あり

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